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家康からの「信用」維持に苦慮した真田信之

武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第29回

■真田家の存続のため徳川家から「信用」を得る

 

 真田家は天正壬午(てんしょうじんご)の乱において父昌幸と家康の間に争いがあり、豊臣政権下で両家の関係を改善させる意味も含め、家康の養女小松姫を信之の正室に迎えました。

 

 当時、すでに信之には真田本家筋出身の清音院殿という正室がおりましたが、徳川家との紐帯(ちゅうたい)を優先させるために、わざわざ清音院殿を側室に落としたと言われています。そして、この女性を母とする長男信吉の存在が微妙に家中に影を落とします。

 

 さらに、関ヶ原の戦いで九度山(くどさん)に流罪となった昌幸と信繁の取り扱いにも苦慮しています。昌幸の葬儀についても幕府に伺いを立てるなど、非常に慎重に対応していたことがうかがえます。

 

 大坂の陣では戦後に信繁との内通に関して領内で厳しい詮議を行うなど、大坂方への関与を疑われないよう非常に神経を使っています。

 

 また財政が苦しい中でも、幕府からの軍役や普請の命令にも進んで対応し、コツコツと「信用」を積み上げていきました。

 

 その結果が、信濃国における要衝の地である松代13万石への加増転封だったといえます。松代は、それまで越前松平家や酒井家など親藩または譜代大名が配されていた重要な場所とされていました。この点からも徳川家からの「信用」が高まっていた事が分かります。

 

■身内に起こる「信用」の弊害

 

 信之は幕府から天下の飾りと言われるほど、徳川家及び幕閣から高い「信用」を得ることに成功しました。そのため、幕府から隠居が許されるのは91歳だった1656年と、かなり時間を要してしまい、隠居の2年後に家督を譲ったばかりの次男信政(のぶまさ)が亡くなってしまいます。

 

 これは真田家にとって、暗い影を落としました。

 

 信政は死に際して信之に遺言を一言も書き残しておらず、なかなか家督を譲らなかった事を信之の意向だと思い込み、深く恨んでいたようです。それを知った信之が激怒するなど、信政の死後に後味の悪さが残されています。

 

 また、小松姫を正室に迎え清音院殿を側室とした事が、家族内に別の不和を生みます。信之は信政の後継として、清音院殿の血を引き成人していた孫信利(のぶとし)ではなく、小松姫の血を引くわずか二歳の孫幸道(ゆきみち)を選びます。

 

 これは徳川家との関係性を踏まえた信之なりの決断だと思われますが、真田本家筋に連なる信吉の次男信利は自身の正統性を訴え、土佐山内家や老中酒井忠世(さかいただよ)たちを巻き込んだ家督騒動が起こります。

 

 信之はその政治力をもって幸道を後継者とすることに成功するものの、喧嘩別れのようなかたちで信利は沼田藩3万石として独立することになります。その後、沼田藩は松代藩10万石を見返すため強引に14万4千石と偽り過剰な年貢を掛け、領民の直訴を招いて改易されてしまうという不幸な結果となります。

 

■信用を獲得し維持する事の難しさ

 

 享年93歳という長寿であった信之は御家存続のために、長きに渡り幕府に奉公を続けました。その結果、将軍や幕閣などからも厚い「信用」を獲得しましたが、その一方で、家庭内で多くの不和を生んでいます。

 

 現代でも社会的「信用」の獲得維持のため家庭を犠牲にしてしまい、家族間で不和を生んでしまう事はよくあります。

 

 もし信之が「信用」を得ることに注力していなければ、家族の不和を軽減できていたかもしれません。

 

 しかし、真田家が松代から転封する事なく、幕末まで支配することができたのは信之がコツコツと幕府に尽くした成果だと思われます。また、信之の存在感が高まる事で幕府からの要らぬ介入を防いでいたとも考えられます。

 

 ちなみに、幕末において真田家は新政府側として早い段階から行動し、島津家、毛利家、山内家に次ぐ章典禄3万石を授けられるほど大きな活躍を見せています。

 

「信用」を得るための行動力は、江戸時代を通じて代々受け継がれていたようです。

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過去記事

森岡 健司もりおか けんじ

1972年、大阪府生まれ。中小企業の販路開拓の支援などの仕事を経て、中小企業診断士の資格を取得。現代のビジネスフレームワークを使って、戦国武将を分析する「戦国SWOT®」ブログを2019年からスタート。著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。

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